メディア

「深き思索、静かな気づき」
No.112
これから野党に問われる
「3つの力」



総選挙の結果、与党が大敗し、過半数を大きく割り込んだ。そのため、政権交代も含め、現在の野党にも、政権参加の可能性が生まれた。当面、メディアは、政党の合従連衡と政権の組み替えの動きに注目するだろう。

しかし、国民にとって本当に大切なことは、どの党が与党になるかではない。その新たな与党が、どのような政策を具体的に実行してくれるかである。

されば、野党各党は、政局に浮かれる前に、これから「3つの力」が問われることを覚悟すべきである。

本稿では、独仏英3国の政党と政治家の事例を紹介しながら、この「3つの力」を論じよう。

まず第1は「官僚組織の統率力」。ひとたび与党になれば、政治家には省庁を動かしていく力が求められる。しかし、我が国では、大組織をマネジメントした経験の無い政治家が少なくない。そのため、官僚の動かし方が分からず、パワハラになったり、逆に、官僚の言いなりになったりする政治家が多い。

筆者が、かねて「都道府県知事や自治体首長を経験した人材が、もっと国政に進出し、閣僚になるべき」と論ずる理由は、そこにある。

かつてドイツにおいては、ヴィリー・ブラント率いる社会民主党が、与党キリスト教民主同盟との「大連立」を選択し、連立時代に、「官僚組織の統率力」を磨き、後に社会民主党が主導する政権を作った。その経験から、野党は学ぶべきであろう。

第2は「合意形成の妥協力」。一般に、この「妥協」という言葉は否定的な意味に使われることが多いが、政治の世界では、この言葉は、高度な現実対応能力を意味している。ドイツの政治家ビスマルクは「政治とは妥協の産物であり、可能性のアートである」との言葉を遺しているが、政権を任され、責任ある立場に立ち、他党との合意形成を実現しようとすれば、必ず、何らかの「妥協」が求められる。

しかし、永年、その責任を負わないできた野党の政治家の中には、残念ながら、ただ正論と理想を語り、批判と反対をしていれば役割を果たしているとの思い違いをしている者が少なくない。だが、その姿を見て、多くの国民は、「この野党には、政権を任せられない」と感じてきたのである。

一方、政治家が「正しい妥協力」を身につけるために、理解しておくべき大切な言葉がある。

それは、「原則を理解する者こそが、最も柔軟であり得る」という言葉である。

すなわち、真の妥協力を身につけた政治家は、「本来、何が最も大切か」の原則が分かっている。そのため、一時、妥協を余儀なくされても、いずれ何をめざすべきかを見失わず、決して流されない。

逆に、原則を理解しない政治家が妥協をすると、しばしば「無節操」と呼ぶ状態になってしまう。

かつてフランスで、フランソワ・ミッテラン大統領が、議会の多数派を野党に握られた「保革共存」(コアビタシオン)の時代を経験したが、成熟した妥協力を発揮し、この時期を乗り越え、長期政権を築いた。その経験を学ぶべきであろう。

第3は「政党の自己改革力」。世界の情勢が劇的に変化し、社会の状況も急速に変わっている時代、政党も、常に自己改革を行い、新たな政党へと脱皮していかなければならない。

しかし、この「自己改革力」の根底にあるべきは、「自己反省力」。ひとたび政権を担ったならば、すべてが上手くいくわけではない。国民の前で、自身の党の政策や判断の誤りを謙虚に認め、それを改める姿を真摯に示すべきである。実は、その姿こそが、国民からの信頼となる。

だが、我が国の政治家は、口では「国民の審判を厳粛に受け止め」と語るが、その後、具体的な自己改革を語り、実行することが無い。

人間学の世界では「反省が抽象的な人間は、成長しない」という名言があるが、これは政党も政治家も同じであろう。

かつて英国で、トニー・ブレアが、18年間、野党の座に甘んじていた労働党を改革し、社会主義的政策を修正し、自由主義的政策を大胆に取り入れた「ニュー・レイバー」(新たな労働党)を掲げ、10年の長期政権を築いた。野党は、この経験からも学ぶべきであろう。

以上述べた「3つの力」は、いわゆる「政権担当能力」の核心をなすものであるが、実は、これらの力の欠如が指摘されるのは、野党だけではない。

現在の与党にも、この「3つの力」、特に「自己反省力」と「自己改革力」が欠如していた。

そのことが、今回の敗北の真の原因であろう。